木蘇 岐山 きそ きざん
   

老幹槎牙黛色堆
齋前咫尺是徂徠
寥空鶴唳和花散
白日濤聲巻雨來
老幹 槎牙(=木の枝が尖って入り組み) 黛色(=遠山)のように堆る
(=部屋)前 咫尺(=近く短い) 是れ徂徠(=ひっきりなく行き来する)
(=寂しい)空 鶴唳(=鳴く) 和して花散る
白日(=真昼) 涛(=大波)声 雨を巻いて来る
49.5p×135.4p

安政4年2月27日(1857年)生〜大正5(1916)年7月28日歿
 漢詩人。美濃国(岐阜県)稲葉郡佐波村生。東本願寺派の僧大夢の子。本名は小川 牧、初名は僧泰、字は自牧、別号に三壷軒主人・白鶴道人。また典故考証に精しく自ら五千巻堂主人と号する。父の大夢はのち 大垣藩侍読となった。
 少壮にして詩に志す。幼時庭訓を受け、長じて儒学を野村藤陰・佐藤牧山に学ぶ。典故・攷證に精通した。維新後、京都に出て、詩を梁川星巌門の遺老、宇田栗園・江馬天江に学ぶ。弱冠にして大沼枕山を驚嘆させる程の詩才を示した。
 明治21年上京し、詩作にはげんで「東京新報」の漢詩欄を担当。森槐南、本田種竹、野口寧斎、国分青崖と徴遂する。しかし杜甫を宗とするその詩風は、乾嘉清脆の調子を愛する槐南一派の詩風とは相容れず、自ら東都詩壇と袂別し越中高岡に帷を下ろす。一時「大阪毎日新聞」の詩欄を担当し、関西詩壇を指導した。
 槐南の没後は、高野竹隠と共に詩壇の双璧と目された。漢詩に対する情熱と意気は晩年に至るも衰えず、浪華風雅の振作に尽した。
 著書に『五千巻堂集十七巻六冊』『星巌詩註』などがある。
 「岐山」の下に、白文の「原牧圖書」と、朱文の「五千巻堂」の落款印が押されている。

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